同朋大学 教員情報   
     


  フクダ タクミ
  福田 琢   文学部 仏教学科   教授
■ 標題
  『沙門果経』阿闍世説話に見る初期仏教の人間観
■ 概要
  パーリ長部所収第二経典『沙門果経』の最終節で、阿闍世王は釈尊に父王殺しの罪を告解する。釈尊はかれを優婆塞として受け入れるが、他方でかれが過去の悪業によって〝破壊されている〟ことを嘆く。ここから後代、さまざまなヴァージョンのテキストが展開することとなった。『寂志果経』(T22)は、阿闍世は懺悔によって有漏を離れて預流果を得たと言い、『増一阿含経』所収経(T125)は、阿闍世は「無根の信」を得たという。説一切有部に属する教義書『大毘婆沙論』によれば、本来の信は三宝に対する「不壊の浄信」に基づいて見道を構成するものでなくてはならないが、阿闍世が獲得した信心はそれとはまったく相容れないもので、それゆえ「無根の信」と名づけるという。しかしながらここで注意すべきは、『大毘婆沙論』が阿闍世の「無根の信」を、「不壊の浄信」に決して劣ないものとして評価している点である。
   単著   日本佛教学会年報   日本佛教学会   第82号   2017/08


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